01_オーパーツとしての気づき

「伊予のストーンヘンジ」~松山・白石の鼻巨石群研究レポート 目次

・01_オーパーツとしての気づき
・02_人工的な仮想ライン
・03_太陽が教えてくれた可能性
・04_光の通り道
・05_絶妙なバランスの亀のような石
・06_人工的な加工の跡
・07_忘れられない春分の日
・08_捉えていた微かな光

※伊予のストーンヘンジの抜粋です。
※順番によんでいただけると幸いです。

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今まで、何度も見ていたものがその日は何故か違って見えた。「ウン?」という感じだった。免許センターへの行きなれた海岸沿いの道のりを普段どおり、車を走らせていた。海岸はよく見慣れた風景だ。

が、その日は何か違って見えた。私に何か伝えるようなそんな感じだった。その海岸には小さな神社がある。龍神社である。そして、その沖合い50mほど前方に巨石が重なって鎮座している。

地元では自然に組みあがって出来たことになっている。海上にあるので実測できないが、5m四方の立方体はありそうだ。それが3つ複雑に重なっている。平成2年の風速60mを超えるような台風19号が西日本を襲ったときや、震度5の芸予地震でもびくともしなかった巨石だ。その台風の時は神社が壊れ平成4年に修復工事が竣工された。

その頃、私はプライベートの時間に、ネット上で地元の歴史や邪馬台国について調査したり感じたことを自分のブログにレポートしたり他の方のブログにコメントしたりしていた。そして、ある邪馬台国論を提唱しているかなり博識の方と大論争していました(笑い)。

しかし結果として、その数ヶ月のネット上のブログ活動が自分の歴史に対する感性や基礎知識を飛躍的に伸ばしたように思います。それで、今まで見えなかったことが見え、感じなかったことが感じるようになったのだと思います。(私の知的好奇心を刺激してくれたその方には、少なからず感謝している。)

その日は、何故かその巨石が、何かただの岩の塊ではないと感じました。そして、所要が終った帰りに立ち寄ることにしました。
所要が終わり、神社に参拝し海岸に佇み巨石を眺めていた時、自分の直感が正しいことを確信しました。

$古代巨石文化探検家のブログ

つづく!