テオティワカン遺跡、まだ登れる太陽のピラミッド!

子供頃は「世界の7大不思議」のような本が好きでした。

そういった本に確か掲載されていた、テオティワカン遺跡の「太陽のピラミッド」
とても壮観な印象でした。


ここはエジプトのピラミッドと違い、まだ、ピラミッドの頂上に登ることができるのです。

テオティワカンとは?

Wikipedia:「月のピラミッド」から観た「死者の道」。左奥が「太陽のピラミッド」

メキシコの首都メキシコシティから北東約50キロメートルの場所にある広大な古代の都市遺跡です。
この遺跡は、紀元前2世紀から6世紀頃にかけて繁栄し、当時のアメリカ大陸最大クラスの古代都市だったのです。

テオティワカンとは「神々の都市」という意味ですが、私はアステカ文明の都市かと思っていました。ところが、アステカ人は12世紀頃にこの地にやってきてようで、その時にはすでに廃墟となっていたのです。
そしてこの発見した廃墟の都市に驚き「神々の都市」と名付けたのです。

現代でも廃墟マニアがいますよね。廃村や捨て去られたテーマパークなどを訪れる人がいます。
ただ、その規模といい全くスケールが違う巨大な古代都市遺跡です。

メソアメリカ文明の中心となった巨大な宗教都市

テオティワカンは、メソアメリカ文明の中心となった巨大な宗教都市の遺跡です。

太陽のピラミッド、月のピラミッド、そして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり、各施設が配置されています。

この都市で祀られた神々には、農業や文化に関わるケツァルコアトル(マヤ文明で言うククルカン)、水神トラロック、チャルチウィトリクエ、植物の再生と関係があると言われているシペ・トテックなどがいます。

この巨大な都市規模から考えると、神権的な権威が存在し、高度に階層や職能集団がが分化し、発達した政治組織ががあったものと思われます。
商業と貿易の中心地であり、住民たちの巡礼となる信仰の中心地でした。
人と物資、そして科学技術など情報も集まったのでしょう。

日本で言えば巨大な門前町のような感じでしょうか?

ティオティワカンの歴史

・テオティワカンは、紀元前2世紀から6世紀にかけて、アメリカ大陸では最大級の規模を誇った宗教都市でした。
・最盛期の人口は、10万から20万人が生活を営み、下水網も完備されていたようです。
・しかし、人口が集中し過ぎたことにより7世紀には急激に衰退し、やがて滅亡を迎えました。
・衰退の主となる原因は火事、森林の破壊、旱魃などよる農業生産の減少、内乱などではと考えられています。

主な遺構及び建造物

  • 太陽のピラミッド(高さ65m、底辺222m×225m)
  • 月のピラミッド(高さ47m、底辺140m×150m)
  • 死者の大通り(南北に貫く都市のメインストリートは長さ4km、幅45m)
  • ケツァルコアトルの神殿 ケツァルパパロトルの宮殿
  • その他、多くの遺跡、建造物が存在します。

kshinoの感想

エジプトのピラミッドはもう登ることはできませんが、テオティワカンの太陽のピラミッドは観光客がまだ登ることができます。
 頂上から観る5kmに渡る長大な「死者の道」などは壮観なようなので、そこで実際に登ってみたいと思います(幸い、2024年3月に訪問できそうなので登れると最高だが。。)。

個人的には、太陽や天体とこの都市設計にどう関係しているのか気になりましたが、そこは良くわかりませんでした。

しかし、紀元前後(約2000年前)から、日本でいう古墳時代に、こんな巨大な都市や、巨大なピラミッドを造るとは人類の営み、叡智の凄さを感じます。