ジビルチャルトゥン遺跡の「七つの人形の神殿」に春分の朝日は昇る!
ジビルチャルトゥン神殿について調べてみました。
この神殿は「太陽の神殿」とも呼ばれ春分・秋分に中央の空洞を朝日が通過することで有名です。
ジビルチャルトゥン神殿とは?
ジビルチャルトゥン(またはツィビルチャルトゥン)は、メキシコのユカタン州にあるマヤ遺跡で、先古典期からスペイン人の到来までの長い歴史を持っています。
ジビルチャルトゥンで最も印象的な建物は、「七つの人形の神殿」と呼ばれるものです。
この神殿は約700年前に建てられ、都市内で最も古い石造建築物の一つとなっています。
古典期の終わりまでには、この神殿と基壇はより大きな四つの階段を持つピラミッドの下に覆われていました。
写真はWikipediaより(七つの人形の神殿)
遺跡はセノーテ(マヤ文明の神聖な泉)を中心にしており、水の供給だけでなく重要な信仰の場所でした。発掘調査によりセノーテとその東の大広場の周囲に人々が集中していたことも分かっているそうです。
マヤの時代区分
マヤの遺跡で、先古典期後期、後古典期などの表現が良くでてくるのですが、分かりにくいので調べてみました。古典期を中心に前後に先古典期、後古典期があります。
- 先古典期(紀元前2000年から紀元前300年)
この時期には土器が使用されていましたが、マヤ低地ではまだ土器が使用されない程度の文化水準でした。 - 古典期(紀元後300年から900年)
古典期はマヤ文明のピークであり、壮麗な建築物、石彫、土器などの芸術性が際立ちました。天体観測に基づく暦の計算や文字記録も発達し、樹皮を材料とした絵文書が作成されました。 - 後古典期(紀元後900年から1542年)
この時期には中部地域のマヤの諸都市国家が連鎖的に衰退していきました。スペインによる征服も影響を与えましたが、マヤの子孫は今も文化的伝統を実践しています。
1542年にスペイン人がユタカン半島を征服、現地のマヤ人を支配下におくという悲しいできごともおきました。
春分・秋分の朝日が神殿を通過する。
「七つの人形の神殿」の中央部の大きな出入り口に春分と秋分の朝日が通過します。
春分・秋分は真東から太陽が昇り、真西に沈みます。なので恐らく反対から観れば夕日も通過するでしょう。
ksinoの感想
当初、正面からの写真は門のように見えたので、観測精度は甘いのかと思っていました。
しかし、正方形の建物のようで光が入る入口と出口はそれなりの奥行があり春分・秋分前後しか通過しないのでしょう。
ただ、スリットではなくこれだけの開口部が開いているので、春分(秋分)を中心に前後、割りと長い期間、見えるのではないでしょうか。
マヤの天体観測装置というよりも、季節の区切りでの太陽光の演出により、神秘性を持たせた宗教施設なのでしょう。
調べている間にマヤの悲しい歴史も知りました。(涙)