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カゴメ歌
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が統べった
後ろの正面だあれ?
意味不明な歌で、様々な都市伝説で使われています。
一つの説に以下のようなものがあります。
伊勢と出雲の歴史が明らかになり、再統合するというような。。
僕は以下のようなイメージを持っています。
伊勢~天津神系~弥生文化~大和朝廷~左脳的文明
出雲~国津神系~縄文文化~出雲王朝などそれ以前の王朝~右脳的文明
伊勢神宮は天照大御神を主祭神として天津神を祀り、天照大御神は皇室の祖神でもあります。
現代でも天皇陛下は「御田植え祭」を行い、皇后陛下は蚕を育て「ご養蚕」をされます。
日本純産種の蚕「小石丸」に桑の葉を与えられる皇后陛下=平成22年5月18日宮城・紅葉山御養蚕所 (宮内庁提供)
世界の皇室・王室で長靴を履いて、こういった農作業を公務や神事として実施されているところがあるでしょうか?
この一面を見ても素晴らしい伝統だと感じます。
また、日本書紀の462年にも記述があります。
「天皇、后妃をして、親ら桑こかしめて、蚕の事を勧めむと欲す」
蚕は弥生期の3世紀頃、中国より伝わったとされ、また、大規模な水耕による稲作もその頃全国的に広まりました。
古事記にも「機織り」の話しが沢山でます。
つまり大和朝廷は弥生期にその経済基盤となる勢力を形作ったのだと思うのです。
日本神話によると大和朝廷にパワーシフトする前は、出雲王朝が中心であったと考えられます。
それは弥生期以前ですから、神話の時代、縄文期ということになるのでしょう。
出雲大社は日本神話では、大国主神が国譲りの条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」(古事記)
と述べられそれに基づいて創建されたとされています。
出雲大社は古代日本で最も高い建造物とされていました。
平安時代の「口遊(くちずさみ)」に「雲太、和二、京三」があります。
出雲大社が日本一、東大寺大仏殿(46m)が二番、京都御所が三番の意味です。
その高さは16丈(48m)あったとされています。
出雲大社復元図
それは、伝説に過ぎなく本当はもっと低かったはずだと言われていましたが、平成12年にその伝説を裏付けるように巨木を3本束ねた巨大な柱の根本が3カ所で発見されたのです。
出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱
http://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=96
神話が現代に蘇った瞬間です。
神話が単なる作り話ではなく、何らかの史実に基づいて創られているという証拠でもあります。
さて、出雲大社の祭神、大国主神の像は実は正面を向いて居るのではなく、真西を向いています。
なので、出雲大社に行った時は正面からの参拝と、左横の真西側から参拝する必要があります。
天照大御神は昼の世界を、大国主神は夜の世界を治めるということを示唆しているようにも思います。
それなら出雲大社も南向きではなく、西向きに建てれば良いようにも思いますが、そこに何らかの意図があるのかもしれません(大国主神の力を封印しているとも言われています。)
冒頭のカゴメ歌ですが、伊勢と出雲の再統合を暗喩しているとすると、大国大神の「後ろの正面」は真東側になります。
出雲大社から「真東」を進んで行くと。。
そこには、元伊勢と言われる有名なパワースポットである丹後一宮の「元伊勢籠(この)神社」、「元伊勢外宮豊受大神社」があるのです。
伊勢へ詣らば、元伊勢詣れ、
元伊勢お伊勢の故郷じゃ
伊勢の神風 海山超えて
天橋立 吹き渡る
元伊勢としての「籠神社」や「元伊勢外宮豊受大神社」に何か秘密があるのかもしれませんね。
「籠」の中の「鳥」はいつ出るのでしょうか?
それだけでなく、カゴメ唄には弥生的な文明と縄文的な文明との再統合、論理優先の左脳的な文明と感性優先の右脳的な文明を最統合して全脳的な文明への転換を示唆しているようにも感じます。
そして、出雲大社で大国大神が正面(真南)をそのまま向いて居たとしたら。。。
そこには四国最大級のパワースポット、松山市にある「白石の鼻巨石群」があるのです。
170kmありますからこの正確さは驚異的です。
縄文期に全国を網羅した広域的な測地システムがあったことは確実でしょう。
21世紀、磐座や巨石文明・古代文明の謎・叡智が次第に明らかにされ「新たな文明の形」が出てくるかもしれません。
それは、文明・文化の対立ではなく融合するような、そして基底として奥深くに眠る自然や大宇宙と融合した縄文的な智慧を再度、現代風に蘇らせるところに鍵があるような。。
そんな気がするのです。
伊勢と出雲の不思議 (終わり)
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