2013年、伊勢神宮と出雲大社が60年振りに同じ年に遷宮をするという貴重な年となりました。
2014年、天津神系の皇族の高円宮典子様と国津神系の神々をお祀りする出雲国造(いずものくにのみやつこ)の千家国麿氏がご結婚されました。
誠におめでとうございます。
出雲の「国譲り神話」は日本神話の根幹をなすものであり日本建国の基礎となったものだと考えます。
神話についての詳しい内容は歴史系の各ブロガーにお任せして、気になったところを私なりの視点で書いて行きます。
今上天皇は現在125代目であり、高円宮典子様は、昭和天皇(124代)の弟である三笠宮崇仁親王のお孫さんです。
千家国麿氏は代々出雲大社の祭祀を任せられている千家(せんげ)家の次期当主です。現在の千家家は84代であり、千家国麿氏は85代目です。
天皇家は世界最古の皇統で、千家家もそれに並ぶような古い家系となります。
千家国麿氏は婚約会見において「2000年を超える時を経て、今こうして今日という日を迎えたということに深いご縁を感じております」と述べられています。
まさに神話の時代から伝わる歴史を感じさせます。
ところで、伊勢と出雲の位置関係の不思議さをレポートした記事が2014年2月の毎日新聞に掲載されました。
「歴史の鍵穴」という真面目な記事です。
伊勢神宮と出雲大社を結ぶ直線上に平城京が築かれていることを指摘しています。
奈良の飛鳥宮から藤原京に遷都してわずか16年で放棄し、平城京を建設したのは神話から続く「伊勢と出雲を対極とする日本古代の世界観に合わせ、世界の中心であるべき天皇の居場所を両者の線上に定めたのではないのか」という指摘です。
伊勢神宮と出雲大社は380kmも離れており古代の測量技術で可能だったのか議論が残る所であると思いますが測量等でも利用される「カシミール3D」を活用したデジタル的な分析、そしてその事実は重いと思います。
全国紙の専門編集委員がこういった一見ムー的な発想を記事にするというのは、珍しいと思います。
時代は変わってきたのでしょうか?^^;;
また、この話には続きがあります。
磐座の研究家の間では以前から指摘されていたことですが、この伊勢神宮と出雲大社の平城京のライン上に神山としての六甲山があるのです。
そして、その六甲山には「国譲り神話」に神話に登場した「天穂日命(アメノホヒノミコト)」の磐座が鎮座し古来より祀られています。
昨年、二度目になりますが六甲山を訪問しました。4月にも関わらず雪が降り、山中に点在する巨石群は一層の神秘さを増していました。
この磐座は天穂日命をご祭神とする芦屋神社の奥宮です。元々はここが祭祀場だったのでしょう。
天穂日命は国譲り神話で、ニニギの命の天孫降臨に先立って、葦原(あしはら)の中つ国に遣わされましたが、大国主命に味方して復命しなかったとされている神様で、出雲国造らの祖神となった神様です。
一般には役目を果たさなかった神様と見られておりますが、芦屋神社の宮司からお話を伺ったときには、天津神と国津神の橋渡しをされた神様とのことでした。
いよするに高天原の天津神系の神様と葦原の中つ国の国津神系の神様の仲介をされていた神様と理解すればよろしいかと思います。
千家国麿氏は、天穂日命の子孫ということになるわけで「2000年を超える時を得て・・・」という発言も納得できるのではないでしょうか?
そして、その神話を証明するように天穂日命が降臨されたという磐座が伊勢神宮と出雲大社を仲介するようなライン上にあるのです。
古代日本の世界観を示し、それを地上に表現できる現代のGPSに匹敵するような測位、測地の技術が古代より日本にあったというのは考えすぎでしょうか。。
それらの神話や技術の意味が次第に明らかになる「時」なのかもしれません。
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