2/22日実施しました「雨水頃に渡る興居島遠征~パワースポットを体感せよ!」のレポートです。
好天に恵まれ古代巨石文化探検部は興居島(ごごしま)に上陸しました。
興居島は、松山の高浜から目の前にある島で15分くらいで到着しますが、殆どの松山市民は行ったことがありません。
でも、ここにも興味深く元気になるパワースポットが沢山あるのです。
元々興居島は母居島(ぼごしま)と呼ばれていました。
誰の母か?
それは愛媛にとっても深く関わりのある母なのです。
何と、伊予の国一宮・大山祗神社を創建したオチノミコトの母君なのです。
そしてオチノミコトの子孫は伊予の古代から中世に渡り活躍した越智氏や河野氏、得能氏などの諸豪族となったのです。現在も今治地方を中心に越智さんは沢山います(巨人でも越智投手等が活躍しています)。
オチノミコトの母・和気姫は孝霊天皇の第三皇子伊予皇子(イヨノミコ)と結婚されその第三子がオチノミコトです。
大三島の大山祗神社には今なおオチノミコトがお手植えになられたと伝えられる樹齢2600年の大楠が悠久の歴史を伝えるように悠然とその雄姿を見せています。
大山祗神社の大楠:樹齢2600年(エハンさんと行ったしまなみパワースポットツアー)
日本は、神話の世界から伝えられる神社や樹木、磐座、そして子孫、精神が残る「神話の国」と呼んでも別におか しくはないでしょう。^^
さて、そんな愛媛、伊予のお母さんとも言うべき興居島ですが、今回、古代巨石文化探検部(インディー・ジョー ンズ倶楽部)がその魅力を伝えます。
まず、高浜港からフェリーで由良港に上陸しました。
由良港近くには行基が創建した観音寺があります。観音寺のマニ車はチベット仏教を想起させこれだけのマニ車を陳列 しているのは松山でもそうは無く壮観です。
観音寺境内にある愛らしいお地蔵?
観音寺境内にある小高い丘の頂上には、蔵王権現の神社があります。神仏習合の名残りを残します。
ここから望む高浜湾も絶景です。
二番目に行ったところは由良港から北上し浜宮神社に行きました。
ここは、白石の鼻の白石龍神社のご祭神、豊玉姫命の父神、豊玉彦命を祀っています。
豊玉彦命は海神・綿津見神(わたつみのかみ)の別名です。
浜宮神社の鳥居。
答:道路がどんどん舗装されていったら地上高が低くなった。元は海岸に面していたのでしょう。
神社は老朽化しているが歴史を感じさせる。何とか整備・維持して欲しいですね。
さて、もっと北上して、次に行ったのは今回の目的の一つ磐神神社、巨大な胴回り34mの花崗岩をご神体とする神社でご祭神は石長姫(イワナガヒメ)です。石長姫は大山祇神の長女です。
この磐神神社は私の本拠地?白石の鼻巨石群の正面にあります。
磐神神社への登山道の入り口から見た白石の鼻巨石群と霊峰石鎚山。
白石の鼻巨石群の上に白亜に輝く石鎚連峰
磐神神社には大蛇が海を行き来したという伝承が残ります。白石龍神社がある白石の鼻巨石群と磐神神社との間を龍か大蛇が行き来したのでしょうか?
ここは小さな神社でお手水がないので、希望者で祓の祝詞を唱えます。
神社の正式な参拝の仕方は産土神社鑑定士の真壁さんのブログをお勧めします。
http://ameblo.jp/ubusuna-jinja/entry-11582938316.html
とってもありがたい 祓戸大神(はらへどのおおかみ)
我(われ)を祓え給い(はらえたまい)
清め給え(きよめたまえ)
そして、ご神体の巨大な花崗岩へ。
昔はもっと、大木が覆いかぶさり鬱蒼としていたそうです。
現在は、木々の間から光がご神体にも差し込みます。
個人的にはご磐座には光が当たるのが正常な状態ではないかと考えているので、現在くらいな状況が丁度良いと思います。
ここで、出雲神語の祝詞を唱えます。
(白石の鼻巨石群や磐神神社は出雲との繋がりも強いと考えています)
幸魂奇魂 守り給ひ幸ひ給へ
(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはえたまえ)
その時、「さぁ~」と何かそよ風が吹いたと感じたのです。
何となく、しかしはっきりと。
そして空を見上げたのです。
興居島のパワースポットツアー 続く!
p.s.個人でいろんな考えはあると思いますが、やはり聖地・霊地を訪れるのは単なる物見遊山ではないので、その神聖な場に最低限の敬う気持ちを捧げるのは人として当然のことだと思うのです。
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(白石成二氏の力作・「古代越智氏の研究」)