白村江の戦い(667)で唐・新羅に大敗した日本が防衛のために各地に築城した古代山城の一つ屋嶋城の遺構を地元の歴史愛好家が発見。
1300年も前の城を市井の愛好家が発見したということで快挙です。
敵の襲来に備えた「懸門」や侵入した敵を滞留させ矢で撃退する「甕城(おうじょう)」という設備がある特殊な構造となっています。
古代山城は朝鮮式山城とも呼ばれており大陸から技術は流入したと考えられます。
崩れた石積みを解体して最大1トンの石を約2000個積み直したとのこと。
1300年も前の城を市井の愛好家が発見したということで快挙です。