陰陽都市・尾道巨石群~その2

尾道巨石群 目次

陰陽都市・尾道巨石群~その1
陰陽都市・尾道巨石群~その2

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歴史観光都市、尾道には市街地を尾道三山が囲む。

それぞれの山には中世から伝わる古刹がある。

浄土寺、千光寺、西国寺

それぞれの寺には山号がある瑠璃山(浄土寺山)、大宝山(千光寺山)、摩尼山(愛宕山:西国寺山)だ。

それらは、すべて玉・光に関わりのある名前だ。

つまり宝玉を持つということである。

この三古刹が、ある同じ山を向いているということが、1999年に発見された。

発見したのは、彫刻家・環境造形作家の児玉康平氏(現尾道大学教授)である。

それらの三古刹は尾道水道をはさんだ向島にある岩屋山を正対して、山門、本堂、本尊が設計、建築、配置されているのである。

つまり、ご本尊の観音菩薩は全て向島の岩屋山を見つめているのである。

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(千光寺本堂の真正面に、岩屋山が望める。)

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(千光寺、本尊は岩屋山を見つめ、冬至の朝日が岩屋山山上から登る。本尊は冬至の朝日を真正面から受け、金色に輝く。)

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(西国時仁王門の真正面に岩屋山が望める。)

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(浄土寺山門の真正面に岩屋山が望める。)

児玉氏は、大阪大学研究員の黄氏(風水学・都市設計)と研究を重ね、尾道が風水思想に基づいて都市設計された陰陽都市であることを実証したのである。

青龍(浄土寺山)、玄武(西国寺山)、白虎(千光寺山)、朱雀(岩屋山)。そして中心となる龍穴ポイントには二基の五輪塔があるのである。

安部清明に代表される陰陽師(おんみょうじ)は、占術、呪術を行うというよりも、本来、古代日本の律令国家における技術官僚であった。

———–Wiki———
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)とは、古代日本の律令制下に於いて中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを行う方技(技官)として配置され、後には本来の律令規定を超えて占術・呪術・祭祀をつかさどるようになった職掌のことをいう。

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陰陽寮には、天文博士・陰陽博士・陰陽師・暦博士・漏刻博士が常任されており、彼らは、占筮(せんぜい)、地相(現在で言う「風水」的なもの)、天体観測、占星、暦の作成、吉日凶日の判断、漏刻(水時計による時刻の管理)など、天文観測・暦時の管理・事の吉凶を陰陽五行に基づく理論的な分析を行っていた。

陰陽師は古代日本における国家の最高頭脳集団・技術者集団だったのである。

尾道市と、向島町は合併まで自治体としては別々の道を歩んでいたこともあり、当の尾道市民もこのこの不思議な構成には近年まで気づいて居なかったのである。

何故、地元の住民でも知らなかったのか?

浄土寺
616年(推古二十四年)、聖徳太子の創建。

西国寺
729年 名僧行其の開祖。

千光寺
創建は平安時代の始め806年。

尾道の三古刹は古代、漁村であったこの地域に忽然として大和朝廷が200年の長い年月に渡って整備された。

何故、尾道でなければならなかったのか?

それは風水に基づいた吉相の地だったからである。

尾道市は風水に基づいて国家の鎮守を願うために設計・構築した国家機密としての宗教都市だった可能性が高いのである。

それらを長期間にわたり莫大な資金を費やして構築した集団は国家の最高頭脳集団であった陰陽寮の陰陽師たちではなかったのか?

そこには、強固な建設への国家的規模による”意思”の存在が伺えるのである。

そしてそれは、国家規模の最高機密(シークレット)だった可能性が高いのである。

21世紀、古代の封印を解くように、尾道の謎が表舞台に浮上してきた。

そして、尾道に注目を集めるかのように連続テレビ小説”てっぱん”が放送された。

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