生名島の巨石 目次
生名島の巨石~その1
生名島の巨石~その2
生名島の巨石~その3
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2011年6月の始め、かねてから気になってました生名島の巨石を調査委員会のメンバーで見学・調査に行きました。
因島から目の前にあり、フェリーですぐです。
目の前に見える立石山も綺麗な円錐形をしたピラミッド型の秀麗な山です。
名前からも巨石信仰(イワクラ信仰)の後が伺えます。
生名島のメンヒル(立石)は港からすぐの三秀園の庭園の中にあります。
ここは生名島の実業家で男装の名士、麻生イトが整備した庭園で、立石山自体も観音信仰の聖地としました。
三秀園につくと、メンヒルは地上高5mで巨大な雄姿を見せていました。
メンヒルについて、上島町のホームページには以下とあります。
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立石山の東側のふもとにある庭園。この庭園の中央部に直立しているのが、『メンヒル』と呼ばれる高さ7mもある巨石です。
学術的な調査の結果、弥生時代の巨石文化の遺物と考えられ、古代人が祭祀の対象としたものと思われています。
旧生名村の有形文化財に指定され、上島町でも指定文化財として引き継がれています。
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また、S51に生名村教育委員会が建てた庭園前の案内板に以下とあります。
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この立石(メンヒル)は、神霊の宿る石神として、弥生時代の信仰対象でありました。
生名島の石ではなく、(原産地不明)海上運搬されたものと思われます。
石の高さ約5m(地下2m)、周囲約20m(地下周囲25m)あります。
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ここで重要なのは以下の2点です。
・弥生時代頃に使われていたと考えられる。
・石自体は、生名島の石ではなくて、海上輸送されたと考えられる。
この体積と比重から考えて150トンは優にあると想定します。
また、面白いことに気付いたのですが、生名島行きのフェリーの最大積載量は60トンなのです。^^;;;
弥生時代以前にどうやって海上輸送したのか?(爆笑)
古代、現代とは違う技術があったと仮説を立てるほうが、自分的にはすっきりします。(笑)
また、生名島の巨石を紹介しているホームページ、ブログは多いですが、まだ誰も指摘していない重要なことに気づきました。
それは、生名島のメンヒルは「割れて隙間」があるということなのです。
そして、その隙間の方位度を測ると正確に90度(真東)でした。
すなわち、春分(秋分)の朝日はこのメンヒルの隙間から昇るでしょう。
春分(秋分)頃は太陽の動きが早いので(1日約0.5度変化する)、ここに太陽光線がその日に通過するとなれば、かなり精度高く、設計し建設していると言えるでしょう。
つまり、生名島の巨石も白石の鼻巨石群と同じように太陽軌道と連動しているのです。