この弥生期の祭祀遺跡の跡とされている立岩(メンヒル)は、「松尾の岩屋」とも呼ばれているようだ。
ただ、現在知られている弥生期の技術ではこのメンヒルは明らかに造ることは不可能だ。
基礎となっている左右の巨石の上に凡そ100トンはあろうかと思う巨石が、直立している。
その隙間を覗き込む。
古代の建造物を見ていつも感じるのは、接触部が極端に少ないということだ。
左の基礎石には僅かに接地して重量を支えている。
しかし、右の基礎石には接地していないのである。
これらの構造は、白石の鼻の「亀石」や岐阜・金山巨石群の「岩屋遺跡」でも確認できる。
アンバランスそうでバランスが取れている構造だ。
そして、左の基礎石はメンヒルの巨大な重量を支えているので、しっかりと基盤の石に直接乗っているが、右の基礎石は、荷重がかかっていないので左右対称のシンメトリックな形状を保つためだけに小さいな石を2個咬ませているという構造だ。
この小さな石も丸石のままではなく、切断し平滑面を造り安定的に支える構造になっているのが見て取れる。
古代の技術の高さを思わずにいられない。
メンヒルの背面を調査してみる。
前面は自然のままの丸みを帯びた美しい形状だが、背面は明らかに人工的に切断しているのが見て取れた。
切断したと思われる石が足元に転がっている。
ただ、これは背面が切断されたメンヒルに対して切断面が向い合わせではなく引っくり返された状態で放置されている。
節理によって自然に割れ落下したのであれば、切断面は向い合わせのはずだ。
このことからも、この立岩(メンヒル)が何らかの人為的な設計を行い構築されたものであるということが伺い知れる。
この構造物を見て、自然の風化浸食と断言できる勇気ある科学者はなかなか居ないであろう。
「古代に巨大な構造物を造ることはできるはずがない」という先入観があれば、思考はそこで止まってしまう。
そこにある事実を何の固定観念もなく、ただありのままに観る(観察する)ことが大切ではないでしょうか。。
I先生との意見があっているのは、古代の巨石構造物の石割のあとには矢穴がない。ただ、その石割の技術は現代には引き継がれていない。失われているということだ。
この巨石(メンヒル)は、今までの我々が教えられてきた歴史感を大きく揺さぶるだろう。
もっと、先入観のない新進気鋭の研究者が増えること望みたい。
帰りに道路から巨石を見上げてみて方位度を測ってみた。
メンヒルは真南に向いて直立している。
この位置から巨石を見上げると真北だ。
当時、PM2.5も花粉症も心配することない澄んだ大気の中で巨石の真上に北極星が輝いていたことだろう。
この巨大な構造物の完成の時、人々は何を感じ、何を祈ったのだろう。
福山の立岩(メンヒル)終わり